我国における冠、つまり元服については、書冊に見えるのは『聖徳太子伝暦』に太子が十九歳にして崇峻天皇の朝に冠し給うとありますが、『続日本紀』にある元明天皇の和銅7年に聖武天皇が皇太子にして元服を加え給ひしとあるのが始であるとされています。元服を行う年齢は、古来は一定していませんでしたが、天皇は11歳から15歳までを限度として、皇太子は11歳から17歳までに行われ、親王もこれに準じたようです。鎌倉・室町の将軍家では、その年齢は一定していないませんが概して早くに元服を行い、また父祖の例によりその年齢を定めていたようです。藤原公賢の家では5歳、徳川家でも概ね7、8歳から10歳以下で行っていました。ただ例外として、足利義教(よしのり・6代将軍)が35歳で行った例も在ります。
 この加冠と言うことは人生の大事な節目であって、系図にも、この加冠の年と冠の親の名と加冠の場所は必ず記されました。歴史に名を残す八幡太郎義家は、7歳の年に石清水八幡宮で、次男義綱は15歳の年に賀茂神社で、三男の義光は14歳の年に新羅明神で加冠の義を行っており、このように長男は一般的に若年令で加冠を行っていますが、これは加冠をおこなうことによって一人前の成人としての待遇を与えられ、社会的に早く大人になって欲しい、また、もう大人にしても良いだろうと言うときにしたからである。大人としての冠を被る儀式であることから、因の親にはその子の将来を見守る、親より上位の人がなりました。
元服は、天皇は必ず正月の1日から5日までの間に行いましたが、一般でも正月に多く行われました。また、天皇以外では始め夜中に行われることが多かったのですが、徳川時代になり昼間に行うことが多くなりました。
 今日では満20歳に達したら成人とし、民法でも満20年を以て成人とするとあります。昭和23年7月国民の祝日に関する法律の施行により、大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を、祝い励ます日として、1月15日が成人の日として祝日となりましたが、現在は1月第2月曜日に変更されています。

『古事類苑』には「元服トハ、男子頭首に加フルニ冠ヲ以テスルコトニテ、元トハ頭首ヲ謂イ、服トハ冠ヲ指ス、蓋シ男子ノ生マルルヤ、幼児ニ在リテハ、常ニ頂ヲ露シ、頭首ニハ、戴ク所ナシ、是ヲ童子若クハ、「わらは」ト云ヒ、長大ニシテ冠セザルヲ大童ト云ヒテ、猶ホ之ヲ成人ト為サズ、其初テ冠ヲ戴クルヲ元服ト云ヒ、「うひかうぶり」ト云フ、其式ヲ指シテ冠礼ト云ヒ、其事ヲ指シテ男ニナルト云フ。男トハ童子ノ域ヲ脱シ、成人ノ男子タルヲ謂フナリ、元服ハ実ニ成人ヲ表スルノ礼ナリ。」と書かれています。